令和元年東日本台風災害からの復旧・復興途上における新型コロナウイルス感染防止対策に日夜を分かたぬ、私たちの生活を支えていただき、高まる感染リスクの下で、懸命に私たちの生活を支えていただきました医療従事者の皆様、保健所を始めとした関係者の皆様、経済の停滞に伴い日々ご苦労されている事業主の皆様、そこで働かれている従業員の皆様、緊急事態宣言下で自粛要請にご協力いただいたすべて市民の皆様に敬意と感謝を申し上げます
4月16日、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」が全国に拡大され、長野県においても法に基づく外出自粛や休業要請がなされ、先月の解除に至ってもなお、世界を見回してみると、終息の気配を感じるに至らない中、改めて、一日も早い感染症の終息を願うばかりであります。長野市を含む各行政機関、医療機関、関係者、そして市民の皆様のご協力のもと、感染防止、生活の維持確保が後手に回らないよう、特別な施策の展開が求められております。
新型コロナウイルス感染症に対し、現在、これから起こり得るだろう第2波、第3波への準備段階にあると思います。新型コロナという見えない脅威に対し、いかに課題を克服し、市民の不安を払拭していくのか、長野市のみならず県や国の底力が問われていると思います。
去る、6月19日、長野市議会6月定例会が閉会しました。6月定例会に上程された一般会計補正予算案をはじめ、条例の改正案などについて審議、採決が行われ、すべての議案に関して原案通り可決に至りました。今回、大きく分けて2つのこと、1つ目は議案について、そして、2つ目は、私の一般質問について、ご報告させていただきます。
まず、私は、補正予算案に賛成いたしました。その理由は、今回の補正予算額9億7、126万5千円の主な内訳は、新型コロナウイルス症関連で3億9、054万7千円と東日本台風災害復旧・復興関連5億7、134万2千円があり、いずれの事業においても可及的速やかな予算執行が求められると考えます。
長野市は昨年の台風第19号で甚大な被害を受け、更に、今般の新型コロナウイルスの影響下にあって、今日まで築き上げたインフラの整備、そして復旧・復興、経済社会活動の回復への歩みを進めていかなければなりません。一方で、私たちの暮らしの良き伝統を守りつつも新たな時代への変革が求められている、試練を与えられたのではないか、と受け止めております。
日本を含む世界の歴史を振り返ってみますと、ペスト、コレラ、スペイン風邪、昨今ではSARSやM E RS、更に、狂牛病、鳥インフルエンザ、豚コレラ等、私たちの生活の傍らには常に感染症がつきまとい、感染症との闘いを繰り返し今日の発展に至っている、と言っても過言ではないと思います。
今月発売のある月刊誌で、昭和史研究家の保阪正康氏は、日本は開国時、海外から流れ込んだ疫病に苛まれた。1867年に誕生した明治新政府にとって最も厄介な伝染病はコレラだった。それまで鎖国政策を続けてきた日本では国民に不安が広がり、江戸の死者数は数十万人との記録があるほどだった、とのことです。更に、1877年、西南戦争の折には、海を隔てた清国でコレラの流行が始まり、大久保利通らが率いる新政府は内務省衛生局を使って、石炭酸による消毒やトイレ、下水溝の清掃などの予防対策、患者発生の届出、避病院の設置、清潔方法・消毒方法の施行などが記載されたコレラ病予防心得という通達を府県に発し、その第13条では、病者ある家族で看護に当たる者以外は、他家に避難させて、みだりに往来することを許さず、とあった、と記しております。
今、コロナ渦で日本のみならず世界各国で行っているコロナ対策とほぼ同様の対策を、江戸から明治へと改元となった明治維新後の時代に既に行われていた、ことになります。現代社会における感染症対策のはじまりともいえるのではないでしょうか。
御承知のとおり、明治時代は、地租改正による安定した財源の確保、管制や身分制度などの改革、殖産興業、円(えん)・銭(せん)・厘(りん)の三つの単位を採用した新貨幣制度の制定、国立銀行条例が発布され、第一国立銀行の建立、他にも通信・交通・文化の発達等、大きな変革が伴った時代であります。
その過程において、感染症をはじめとした大きな困難を克服し、社会に大きな変革をもたらし、発展し、今を生きる私たちの生活の礎を築き上げた時代であり、国民と政治の底力の賜物だったのでは、と思います。
今定例会で可決した補正予算、そして5月に開催された臨時会で可決された補正予算、そして、これからも適宜、補正予算等について熟議を重ねながら、長野市が目指す、幸せ実感都市ながの、の実現に向け、想いを共有しながら、速やかな予算執行により、新たな時代を作り上げていく上で必要な予算であるとの考えから、賛成いたしました。
次に、通算13回目の登壇となった一般質問についてご報告いたします。
令和元年東日本台風から7か月が経過し、甚大な被害を経験した長野市は、今の世代はもとより子や孫の世代に対し、水害から地域の生命と財産を守るため、堤防を初めとする河川の現状について正確に把握することで、今何をすべきかを明確にした上で、やれることを着実に進めてく責務があると思います。そのため、千曲川・犀川に囲まれている更北地区を含め、国が定める堤防の基準に対する現状と国が重要水防箇所として示している堤防高の不足、水衝部の洗掘等の課題に関し取り上げました。
詳細については、割愛させていただきますが、今回、議場での議論を通して確認できた点、その上で判明した課題についてご報告します。
1つ目は堤防高のあるべき姿(基準)と実態についてです。
犀川と千曲川合流地点から上流域の堤防の高さは、国が示している堤防高と乖離があるのか、です。河川法に基づく河川管理施設等構造令第20条で、国はあるべき堤防の高さ、いわゆる完成堤防の基準を定めていますが、質疑を通して、長野市南部の千曲川堤防では、松代町柴69.1kから71.5kまでの右岸、小島田町の70.6キロから71.3キロまでの左岸、篠ノ井塩崎78.6kから79.9kまでの左岸、篠ノ井塩崎から千曲市境81.2kから81.5kまでの左岸において堤防拡幅、築堤区間として位置付けられており、暫定堤防とのことでありました。このほかの堤防は、堤防高、堤防幅ともに計画堤防断面が確保された完成堤防である、との明確な答弁をいただきました。
しかし、議論の中で、住民の不安を解消できる状態には至っていないこと、更なる課題が明確となりました。
そこで、重要な課題を二つ挙げさせていただきたいと思います。
一つ目は、台風第19号時における流量です。過日、信濃毎日新聞にて報道されていたとおり、千曲市杭瀬下での流量が、国が平成20年に策定した河川整備基本方針、平成26年に策定した河川整備計画で示していた流量を大きく上回った、ということです。その結果、篠ノ井、松代、若穂、長沼、豊野各所で大規模の洪水が発生に至ったと推察します。このことを市民一人ひとり我が事として受け止めなければならず、つまり、これから河川整備を進めるうえで、国が定めていた基準が既に基準とはなりえていない、という現実を認識し、長野市は市民の生命と財産を守りぬく強い意識のもと、主体的に必要な整備に関わっていく必要があると考えます。
もう一つは、現在の堤防高が、完成堤防の基準を満たしているとはいいながらも、国の重要水防箇所一覧では、更北地区内千曲川及び犀川堤防において、堤防高不足と評価されている箇所が何か所も存在している、ということです。更に、重要水防箇所解消に向けた整備が遅々として進んでいないのではないか、という疑念であります。現在、国土交通省に対し、過去の河川整備状況に関する資料を請求中ですが、今日に至るまで、我がふるさとの堤防整備がいつ、どのような、どんな目的で行われてきたのか、検証していく必要があります。
今後の市議会定例会等の場で、長野市は当事者意識を更に高めながら、地域住民はもとより市民の安全な暮らしの形成に向けて歩みを加速させ、努力を重ねていかなければならない、ことを主張し議論を重ねていくことが私の責務であると、改めて、捉えることができた6月定例会となりました。
今年度、そしてこれからの長野市は、災害からの復旧・復興、そして、新型コロナウイルス対策、加えて、今、直面している諸課題の解決に向け、長野市の底力が問われていると考えます。
明治維新を経て、様々な課題を克服し、近代社会の形成を図った大変革期であった明治時代のように、現代を生きる私たちは、数十年、数百年後の長野市民が、心豊かに安全で安心した生活を営むことができる社会の礎を築きあげる更なる一歩となる大きな変革期であった、と後世に胸を張って繋げていくことが市議会議員としての重い責務であります。私自身、長野市が抱える課題や問題点の本質を見極め、解決に向けて更に邁進していきます。