週末からバタバタと

鈴木洋一

2016年04月12日 04:24

 9日の土曜日、地元更北地区が誇る川中島古戦場八幡原史跡公園に開催中の「三太刀まつり」の開会式に参加。更北まちづくり委員会並びに更北住民自治協議会産業振興部会が主催で昨年から始まり、今年が2度目の開催となります。ご存じのとおりここは謙信・信玄一騎討ちの場所と伝えられております。
 【逸話では、永禄4年(1561)の川中島合戦に、武田・上杉両陣営の旗本(はたもと)が入り乱れての大乱戦となった、信玄の身辺が手薄になったとき、風のように信玄の本陣に切り込んできた武者がいた。萌黄(もえぎ)の胴肩衣(どうかたぎぬ)をつけ、頭を白布で包んだ武者は月毛の馬の馬上から、三尺ほどの太刀をふるい、床几(しょうぎ※)にかけている信玄めがけて、三太刀斬りつけた。信玄は立ち上がり手にした軍配団扇で受け止めたが腕に二箇所の傷をおった。駆けつけた信玄の旗本が槍で馬上の武者を突いたがはずれ、鎧の肩にささった。これを叩き落とそうとして馬の尻を叩いてしまったので、馬が立ち上がり、一目散に走り去った。この白頭巾の武者こそが、上杉謙信であったという。後で信玄の団扇を調べてみると、刀の傷が七つもあった。




「三太刀七太刀之跡」には、信玄・謙信一騎討ちの像とともに碑が建てられている。】(長野市風林火山特設サイト川中島の戦い)より引用
 さて、9日、10日、23日は地元信州名産品大集合ということで地元産直の軽トラ市などが行われ、この日も早朝より大変な賑わいとなりました。地元更北が誇る古戦場の活性化が益々地域振興にも大きく影響すると思います。まだまだ始まったばかりの行事ですがしっかり浸透し、根付いていけるような取り組みに私も参画して参りたいと思います。
 古戦場から私の2人の子どもたちも大変お世話になった保育園入園式に出席。この園は現在200名を超す園児がおり、この春も新たに42名の新しいおともだちを迎え入れされました。長野市では待機児童はゼロという状態ではありますが、地域によって、そして地域の中でも充足率の違いがあったり、待機児童はゼロであるけれども、それで満足できておる状態ではないのも事実です。首都圏とは単純に比べることもできませんが、長野市らしい保育環境、長野市だからできる環境整備も考えていかなければなりません。少し昔話しになりますが、私の息子はゼロ歳のときから一時保育からはじまり、年度途中からお世話になったのですが、この春の入園式は、既に半年前から通っていたので参加不要と思っていたので6年間通った息子は入園式欠席という結果になってしまいました。そんな息子も今や、小6です。


 実は、この9日、10日の2日間は、日頃から大変お世話になっている若手の会恒例の年一回研修旅行の日でもありました。今回は、伊勢神宮から、熱田神宮などの見学に加え、2005年に開港した中部国際空港「セントレア」を見学のコースです。私は上記の業務等を終え、1日目の夜から名古屋で合流という形での参加となりました。熱田神宮は日曜日の早朝いも関わらず本当に大勢の観光客でにぎわっておりましたが、しっかりお詣りさせていただきました。




セントレアは2005年の開港ですが、名古屋方面から空港に近づくにつれ、町並みが田園風景から新興住宅地群に、そして大型商業施設が見え、そしてホテル、空港といった感じで、都市整備が今日まで進められてきたのだな、と感じました。いろいろな経緯があったかと思いますが、次回はいつこの場所に来れるかわかりませんが、風景は変わっていることでしょう。
 そんなこんなで週末を慌ただしく過ごし、月曜の朝は篠原孝衆院議員による街頭演説のお手伝いに。夕方より後援会役員さんによる会議および花見会に参加。


 夜桜が見事でしたが、さすがに寒く、桜の木の下でというわけにはいきませんでした。またまた、たくさんの激励をいただき感謝感謝です。

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